第一の印象は

「よりによってコレかょ」でした。やはし自分は運が無いのだなと再確認。
そして、新しい事をヤって今まで出来ていた事を忘れるという解りやすい結果に終わりました。
別に好きで新しい事に挑戦してるわけじゃないんです。必要だったんです。
「いい加減な形で放り出されるよりは、駄目なら駄目って指摘された方が良いよね」とか
常に吐いてますが、実際に駄目だとやたらショックを受ける私は超めんどい輩。
てゆーか中途半端にヤれてしまうと損です。あまり頑張らない方が良かったんです。
しっかり苦しそうな声で電話しないと救急車を出してもらえないこの世の中、
痛みを我慢していては相手に伝わりません。「平気そうじゃんw」と一笑に付されます。
しっかりヤればヤるほど、他者から見た自分の「平常運転」のレベルが上がります。
「普段通りにヤれば良い」と言われましても、それは私の平常運転じゃないんです。
常にちょっと気を抜くくらいで良かったんです。そーゆーふーに生きたかったんです。
15の夜に盗んだバイクで走り出しておけば良かったと、今になって思います。
幼少時に懸命に生きても、それを維持、もしくはそれ以上の結果を出さなければ意味は無い。
右肩下がりの人生なんて誰からも肯定されません。
故に社会的動物の私は、社会から肯定されぬ自身の人生を誇れません。
良いものが駄目になるよりも、駄目なものが良くなる方が好まれるんです。
逆転劇なんです。最後に勝たないと駄目なんです。むしろ最初は駄目な方が良い。
「昔はワルだった」といった話が「良い話」として扱われている事実がそれを物語っています。
ウチの人が時々「最近の小・中学生って本当にメチャクチャ」とボヤいていますが、
賢い生き方だと思います。そうやって今の内に悪い印象を周囲に与えておけば、
ちょっとした事で度々称賛されると思います。羨ましいです。
悔しいですが実際にそちらの方が社会で認められるんです、褒められるんです。
「実力は小出しにしよう(すべきだった)」が今の所、私の人生の一番の教訓です。
そんなこんなで、二度目はかなりベストな形で始まり
「あーここで帳尻を合わせてくるんですね。珍しい配慮ですね」と。
結果、なんとかイけましたが「結局、私は運で左右される程度の実力しか
持ち合わせておらんのだな」とショボンリしてしまって、結局凹む。
私はまだ「運も実力の内」と言えてしまうほど成功を経験してはいません。
そんな三日間。